なんのためにやっているのかわからない
この先行きていける気がしない
何にでもお金がかかる
なんてことを考えるようになった
この思考の正体はなんのか
学生の頃は吹奏楽部でアルトサックスを吹いていた
とにかく自分がうまくなるために練習すること
それだけを考えて過ごしていた
努力は裏切らないと書いた紙を譜面台に置いて毎日練習していたあの頃
あんなに夢中になれた時代は誇りだ
あの時を思い返せば
かかる費用は両親が払ってくれていた
上手くなるためにとお金のことは気にせずに使っていたと思う
それだけではない
仲良くしながら本気でいてくれた先輩や後輩
朝早くから夜遅くまで学校にいた先生
力を信じて教えてくれていた講師
いい結果を残してきた部活であったこと
練習して上手になれていると感じれていたこと
周りの人が認めてくれていたこと
自分の力だけじゃなくて
両親、先輩、後輩、先生、講師、環境など多くの人・ものが
わたしが頑張れる気持ちを作ってくれていた
改めて両親を中心に たくさんの感謝が込み上げる
がんばりたいと思えることは素晴らしい
わたしは誰かの存在なしでがんばりたいと思えることは難しいのかも
なんて今思った
ああ誰かを支えにしよう(支えになってくれそうな人がいるだけでありがたいな)
わたしに必要なのはあの頃のような気持ち?
わからないな
わたしは社会人になって悩むようになった
他人と働くようになり
働き方 お金 考え方 時間の使い方 健康 性格 連携 やり方
多くの悩みにぶつかった
わたしは
頭の回転が早い
ポイントを掴んで要領よくやれる
人とは相手の心地いい距離感で話せる
生産性がある
大事なことは忘れないし
難易度が高いことも頭を使って時間を作ってやったりする
自分と他人を比べて
平等に働いてほしいと思っている考えがある
他人の働くペースを考えて働く思考が足りないと思うが
他人が気がついていないところを補っている自分の働きぶり
先回りして仕事している自分の生産性が現実にあって
自分がやったことで毎日仕事が成り立っている事実が
やっぱり他人に足りないと思ってしまうのだ
ああ なるほど
先回りし過ぎているのか
と気がつくが
その先にはなぜ自分より長く働いている人 高い給料をもらっている人が
自分より先に気づいて行動しないのか
という不満につながる
わかったぞ
もっと他人の生産性に目を向けるのだな
そこが自分に足りないのだな
だから苦しいのだな
明日はそれを考えて働いてみようと思う